膀胱癌は頻尿・血尿の症状がでます。症状が出たら早めに診察を!

今や2人に1人がガンになると言われている時代です。毎日毎日ガン細胞が生まれていますが一つのガンが育つのに20年から30年かかると言われてています。それが症状として現れるまでに、体内の免疫機能が働いてやっつけてくれているのですが、その目をかいくぐって育ってしまうとガンとして発症してしまうのです。





2人に1人と言われても、自分たちには関係ないと思ってしまいますよね。私もそうでした。今日は父の膀胱癌闘病記について書きたいと思います。
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膀胱癌の症状




去年、父がガンで亡くなりました。膀胱でした。





ぼうこう癌は血尿頻尿などの症状が出る比較的早期発見しやすい癌です。





父にも症状がありましたが「怖いから」と言う理由で病院に行くのがかなり遅れました。最初に症状があったのは亡くなる3年も前の事です。





最初は『頻尿』の症状でした。夜中に何度も目が覚めて3〜4回トイレに起きる生活が始まりましたが、その時はただの老化現象だと思い市販の「頻尿の薬」を飲んで症状だけを抑えていました。





その後、尿に少しずつ血が混ざるようになりました。





その時点で病院へ行っていれば、多分助かったと思います。『とくダネ』でおなじみの小倉智昭さんも初期の膀胱癌で手術され、今は元気にお仕事なさっていますもんね。





父は血が混ざる程度の尿の状態から、血そのものが出るという異常な状態まで病院に行きませんでした。その間約1年です。その頃には体もかなりしんどそうでした。病院へ行くと即入院です。当たり前ですよね・・・。





「症状出てましたよね?!どうしてもっと早くこなかったの!」
先生の第一声です。「せめて、半年早かったら手術できたのに」とも言われました。





即入院となったのは『癌だから』でははく腎臓に老廃物が溜まりすぎてネフローゼの状態になっていたからでした。あと1週間遅かったら、その場で亡くなっていたくらい酷い状態でした。ですのでまずは腎臓の老廃物を取る治療をするために入院しました。





転移と治療





ネフローゼ治療の時点での癌の状態は、すでに『末期癌』(初期症状が出始めてから約3年たってます。病院へ行くのがほんっとに遅かった。遅すぎです。半年早く受診していたら手術ができたんです。)





しかも肺にも二箇所転移している状態でした。もはや手術はできない状態です。父は膀胱全摘でいいから手術してって感じでしたが、ガン自体が大きすぎてとてもじゃないけど無理でした。そこで、抗がん剤治療でガンを小さくしてから、手術できたらやりましょう。という主治医の先生のお話でした。(これも、きっと慰めの提案だったと思います。先生としては手術できる可能性は低いとの見通しでした。)





主治医の先生は父には言いませんでしたが、あと1年持つかどうかだと言うことでした。しかし父は抗がん剤治療をすれば良くなると思い込んでいたため、結果的に最初の入院から3年ちょっと生きられました。先生としては末期状態だし体力を落とす抗がん剤もしたくなかったみたいですが、父は良くなると信じ切っていたので、それが良かったのかもしれません。思い込みって大事です






1年半程入退院をしました。その間の抗がん剤は効果があったと思います。進行が遅くなってたし、父の顔色もどんどん良くなって来たのです。通院で抗がん剤治療できるまで元気になったのです。主治医の先生も私たち家族もひょっとして治るんじゃないかと思うようになりました。






そんな生活が2年弱続きました。






徐々に抗がん剤が効きにくくなり、副作用の辛さや入退院の辛さ、癌の痛みも少しづつ出てきていました。それでもまだ体力的には元気で痛み止めを使用しながら、気晴らしにパチンコへ行ったりできていました。





しかし、ある雪の日、滑って転倒し腕を骨折しました。腕の骨に転移していたので、骨がもろくなっていたのです。





そのまま入院しました。整形外科の先生が頑張ってくれて脆い骨にボルトを埋め込み何とか退院できました。





退院後も通院で抗がん剤治療を続けていました。しかし、その時はすでに気休めで行なっている感じです。父も効果がでていない事がわかっていたかもしれません。体力だけがどんどんなくなって行きました。主治医の先生は治療を辞めてもいいし、続けてもいいと言っていました。先生も本当は分かっていたのでしょうけど、患者さんである父の意見を尊重してくれていました。なので、抗がん剤を続けていたのです。






ただ食欲はありました。家族からすればそれだけが唯一の救いでした。





春になり主治医の先生が変わりました。次の先生は若くて事務的な先生です。父は治療方針を相談しに先生の元へ行きました。そこで言われた言葉は耳を疑う物でした。患者本人に向かって『もってあと3ヶ月程度です。治療方針も何もありません。抗がん剤は続けるだけ無駄ですよ





帰りの車の中はみんな無言でした。話をすると涙が出そうでした。





この言葉を聞き父は希望を無くしたのか、進行を止められない時期だったのかわわかりませんが、癌進行ペースが急激に早くなりました。痛みも酷く出て来てくるようになりました。





それから2ヶ月後のある朝、ベッドから立ち上がろうとした父は派手に落ちました。足に力が入らなくなっていたのです。昨日まで立てたのに突然の事です。救急車を呼び病院へ向かいました。救急車の中では小さい孫に冗談を言いながら笑って病院へ向かいました。でも、まともに話ができたのはそれが最後となりました。






病院で検査すると、脳に転移しているのが発覚しました。運動神経がやられて立つ事ができなくなったのです。次の日お見舞いに病院に行くと、昨日までの父とはまるで別人のようになっていました。笑いもせず、話しもせず、ただ母にだけはポツポツと話をしていました。それからはあれよあれよと状態が悪くなりました。少しは話せていたのに3日後には言葉もほとんど出なくなりました。家族の顔もあまりわかっていない様でした。





とりあえず、脳に転移している癌に放射線を当てる治療をしてもらいました。3回ほど放射線治療をすると、何とか家族の顔がわかり、少し言葉が話せるくらいに回復しました。でもそれ以上は回復の見込みも治療方法もないとの事だったので、家に帰りたいと言う父の意見を聞き退院する事にしました。退院までの数日でまた言葉少なになっていました。





在宅看取り





在宅看護の環境を2日で整えて、ヘルパーさんや介護福祉士さんの協力の元、家へ連れて帰りました。意識の疏通は殆どできません。言葉も発しません。目だけはキョロキョロできていたので感情を読む事ができました。家に帰ってきて安心したようでした。病院にいる時より穏やかな顔つきです。





しかし残念ながら食欲はあまりありませんでした。在宅看護の先生によると、水分やゼリーのような物を口に入れてあげて下さい、との事だったので、スポーツドリンクやゼリーなど口当たりの良いものをたくさん買って来ました。スプーンに2口とか3口飲んだり食べたりした日は家族で大喜びして、泣けてきました。






起きている間は昔好きだった演歌や歌謡曲をかけてあげました。足をゆらゆらさせてリズムを取っているのを見て嬉しかったです。でもだんだんと、目も閉じ気味になりました。そんな状態が約10日程続きました。でも亡くなる1週間前はほとんど起きなくなりました。寝息を立てて寝ているだけで安心でした。






在宅医療の先生に毎日来てもらい、そろそろ離れた家族にも連絡しといたほうがいいと言われました。発する息の匂いや便の状態でわかるそうです。離れた家族が集まって1日半経った夜、父は微笑むような顔で亡くなりました。





最期は痛みに苦しむ事もなく、穏やかだったので在宅医療の先生方には本当に感謝です






小林麻央さんが亡くなる時に『愛してる』と言ったと海老蔵さんが仰ってますが、それは本当だと思います。ありえないと言う先生方もいたようですが、父のあの表情を見ていると本当だと思います。






この経験があり、健康に超無頓着だった私も『健康』や『生き方』について考えるようになりました。まだまだ意識が低い私ですが、出来る事から少しづつでもやっていけたらなぁ。と思ってます。






繰り返しますが、膀胱癌は症状が出た段階ですぐに治療すれば治る確率の高いガンです。ですので絶対に気を落とさないで下さい。






父のようにいつまでも病院へ行かず、市販の薬でごまかして3年もの間放ったらかしていると、取り返しのつかない事になりかねません。父の向かいに入院されていた同じく膀胱癌の方は、手術して(全摘でしたが)元気に退院されていきました。父だけが繰り返し入院して抗がん剤をしていたのです。そのくらいみんな元気になられてました。







少しでも体に異変があったりおかしいと思うような事があれば病院へ行って欲しいと思い、今日は癌について書きました。





今日も1日ありがとうございました。








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